top of page




ごあいさつ
歴史に心を奪われた旅人が切り取った、世界のいぶきを感じる写真と感動したことばたち。
「たびくまの都市史」は、くまをつれた日本近世史の研究者が、世界のあちこちで撮影した、珍しい写真や旅日記、旅先で考えたことを公開するサイトです。特に都市の歴史 に興味があるかたは、ぜひご覧ください。ご感想やアドバイスをお待ちしています。
お知らせ


チョコルダさんのこと
昼寝から覚めたらチョコルダさんがやってきた。 チョコルダさんにお世話になった日本人は多い。チョコルダさん、バリ風にいえば、チョッ・グデ・パルタ(Cok.Gde.Parta)さん。1943年、小学生のころ、第二次世界大戦で日本軍がやってきて、日本風の教育を受けた。ほんの少しだが日本語を話し、英語はかなり堪能、コミュニケーションに不自由はなかった。 いつもにこやかなチョコルダさんだが、バリ島の歴史や宗教、文化を語るときには独特の威厳を見せる。 チョコルダさんはシャトリヤ、つまり王族・士族の階層に位置する。バリ島はインドネシアでは珍しいヒンドゥー教の世界である。①ブラフマナ(聖職者)・②シャトリヤ・③バイシャ(商人・町人)・④スドラ(農民・平民)というカスタ(インドでいうカースト)があって、文化的には分けられている。 たとえばバリ語はカスタで違っていて、ブラフマナにはブラフマナの言葉がある一方、シャトリヤがブラフマナに話しかける際に使う言葉も存在するそうだ。その関係は極めて複雑で、文化人類学者でもバリ語を習得することをためらう。 一方、インドネシア語は
千葉正樹


ドイツコレクション
ミュンヘン郊外のヴィース巡礼教会。広々とした草原の中にひっそり建っていた。 ドイツは美しい。2025年5月12日(日)から21日(水)までのドイツの旅で、その豊かさと落ち着きに魅了された。今回はくどくどしい話はやめて、写真集を御覧いただこう。 車窓から臨むドイツ・アルプス。 歴史的にはいろいろと言いたいことがあるけれど、森の中でふっと姿を現すノイシュバンシュタイン城には息を呑んだ。 今回一番気に入った街はローテンブルグ。肉屋さんの看板代わりの彫像。 街の人の心遣いが偲ばれる。 明け方に。街の明かりがまだ灯っていた。 街はいくつかの門で閉ざされている。 森の中に浮かぶローテンブルグの遠景。 バンベルクの教会の光。 日本人にとって忘れてはならない場所、ポツダムの凱旋門。 ツァーの悲しさ、ワイン祭りには参加できなかった。 ベルリンの壁はアートのために準備されていたかのよう。時間は過ぎた。 シュベーリン城の教会を花々越しに。 ブレーメンは音楽隊だらけ。 時には変形したりもする。 ケルンの大聖堂では頭の中でキース・ジャレットのピアノが響いた。 トルコから来
千葉正樹


遠野イメージ
遠野は霧で迎えてくれた。 たびくまチールは釜石線で遠野に向かう。 一編の書物がまちの運命を変えた。今回、2年ぶりの旅となった遠野では、観光と都市の歴史について、いろいろと考えさせられた。ざっぱくなメモばかりだが、たくさん写真も撮ったので、ゆっくりお付き合い願いたい。 まずは柳田先生にごあいさつ。 遠野の未来を変えた書物、それはいうまでもなく柳田国男『遠野物語』である。1910(明治43)年に自費出版されたこの本は、すぐに商業出版されて読み継がれ、日本民俗学の夜明けを告げるものとなった。『遠野物語』に魅せられた研究者や文学者は次々この地を訪れ、そこに民俗学のファンも加わっていく。昭和50年代には民俗学を主軸とする日本初めての博物館、遠野市立博物館の開館もあって、遠野の旅はひとつのブームとなった。 しかしそのころは、以前、このブログでも紹介したように(項目・「遠野の『ふつう』に惹かれて」を御覧ください)、博物館以外には一棟の曲り家を移設復元した伝承園があったぐらいで、遠野ファンたちはバスや自転車、徒歩で「ふつうの田舎町」遠野を巡り歩いていた。「ふつう
千葉正樹
bottom of page