思い出のお正月
- 千葉正樹

- 2025年12月28日
- 読了時間: 2分

1990年代、結婚して間もない私たち夫婦は、いっしょうけんめいお正月してた。母もまだ元気で、伝統的な正月料理を主としてつくり、かみさんは洋風の料理をプラス。食卓はすばらしく豪華になった。
仙台のお雑煮は、尾頭付きの焼ハゼでだしを取り、それも入れて、さらにイクラを飾り付ける。焼ハゼは現在の雄勝町(当時は石巻市に合併する前だった)の長面湾でつくられたものが最高で、お椀をはみ出る大きさだった。東日本大震災で長面湾は大きい被害を受けて、今は手に入れることが難しくなった。

元日には家族で初詣に行った。おごってタクシーを使い、境内の仮店に入り込んで、一杯やったりした。国宝の大崎八幡宮社殿はその後、大規模な修繕を行い、今に至る。震災の被害は幸いにも軽微だった。
大崎八幡宮は表から見ると桃山様式の豪奢な飾り付けが見事だが、内部には墨絵の間がある(一般公開はされていない)。それは伊達政宗の近世大名としての「表」にかくされた、室町大名としての心性を物語ると言われている。



宮城県の南端、丸森町にある蔵の郷土館齋理屋敷では、私の会社、まち研で展示の企画から設営、年間のイベントのすべてを担っていた。
1994年にはスタッフ総出でお手伝いの人数も加え、正月の催しを行った。来館者には本物のおとそ(漢方薬を侵出させた日本酒)と齊理独特のするめ出しのお雑煮を振る舞い、福笑いに福引きと、昭和初期の風情を再現した。〆は町内青葉地区に伝わる獅子舞をお招きし、大広間で披露していただいた。



あれから約30年、私たちを取り巻くお正月の風景は変化した。父母はあの世に旅立ち、正月の御膳はハゼ出しの雑煮を残すぐらい。それでもかみさんが一生懸命つくってくれるので、思いは伝わっている。
齋理屋敷の催しをまち研で行うことはなくなったので、正月の伝統的な遊びからは縁が遠くなった。というよりも、90年代当時、すでに正月のさまざまな催しは一般の家庭からは影を潜めつつあり、だからこそ、齋理屋敷の催しとして行っていたのであった。
この正月、せめて初詣くらいは行きたいと思っている。



コメント