top of page




ごあいさつ
歴史に心を奪われた旅人が切り取った、世界のいぶきを感じる写真と感動したことばたち。
「たびくまの都市史」は、くまをつれた日本近世史の研究者が、世界のあちこちで撮影した、珍しい写真や旅日記、旅先で考えたことを公開するサイトです。特に都市の歴史に興味があるかたは、ぜ ひご覧ください。ご感想やアドバイスをお待ちしています。
お知らせ


石巻に生まれて
桜に包まれた石巻城址(日和山公園)。大きい鳥居の奥が本丸。 石巻の通称日和山神社は、私が誕生して最初のお宮参りを済ませたところだ。両親はここで結婚式を挙げた。日和山の名の通り、かつて船乗りはここから天候を見通し、また、入港するときは「山当て」、山との角度や距離感で航路を探っていたという。 また、ここは戦国時代の城、石巻城の跡でもある。段々になった曲輪には、近代になって桜が植えられ、憩いの場所となった。 鹿島御児神社の鳥居からは太平洋を望める。 案内板でひなたぼっこするチール。 旧北上川河口の門脇には311のあの日までは稠密な住宅地が広がっていた。 あの3.11の日、太平洋に面した石巻門脇地区の方々は、日和山の急な石段を駆け上って、避難した。しかし犠牲は大きかった。私の勤めていた大学の学生もひとり、ここで命を失っている。私が父に連れられてハゼ釣りに行った岸壁は破壊された。自転車で駈け回った通りの記憶だけが残っている。 曲輪の跡はいいお花見スポットになっている。 北上川方向から望む石巻城址。川と海を支配する拠点だった。 かつて石巻城を拠点としていたの
千葉正樹


名古屋は春
名古屋の桜を楽しむたびくま、チール。 名古屋は爛漫の春であった。 今回の旅は、昨年2月に逝去された曽根原理さんのご業績を偲ぶ宗教思想史のシンポジウムに出席するため(3月22日・同朋大学)。たくさんの方がお集まりになり、曽根原さんが追求していた家康を神とした東照大権現を核とし、人が神になるという思想を追って、白熱した議論が交わされた。とても勉強になった。 さて、仙台から参加した私は前後の2泊をせざるを得なかった。おかげで以前から気になっていた名古屋城下町を、大急ぎで探索することができた。ひつまぶしにきしめんも堪能した。 内堀に近づかないと天守は見えなかった。 桜祭りで夜間開場していた。 名古屋に来たなら金のしゃちほこは欠かせない。 名古屋城下町は、家康が手がけた最後の都市建設となる。家康の天下が定まった慶長15(1610)年に建設を開始し、大坂夏の陣を終えた、元和元(1615)年に完成する。 江戸・大坂につぐ規模を持つ天守を高々とそびえさせ、整然と碁盤の目状の直線道路で町がプランされ、武士と町民をきちんと分けて、東海道を始めとする幹線を組み込んで、
千葉正樹


支倉常長の旅・ローマ編
ジャニコロの丘から遠望するローマ。 1615(元和元)年10月25日、支倉常長の一行はローマに入った。旅の最終目的地である。法皇の直接の命によって、仙台領での布教を行ってもらうことは、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)との交易路開拓と並ぶ、二大ミッションであった。非公式ではあったが、この日、支倉は教皇パウロ五世に謁見している。 私たち夫婦は、1989(平成元)年3月26日にローマに行っている。この前の日、私たちは結婚式を挙げた。つまり新婚旅行である。古代ローマの遺跡を見たかったし、ルネサンスの美術にも触れたかった。美味しいと聴くイタリア料理にもときめいていた。かみさんが支倉常長のマンガを依頼されるのはこの二年後である。支倉の旅を追いかけてローマに行ったわけではなかったが、このときの体験は大いに参考になった。 日曜日、法皇さまの祝福を受けようと、2万人を収容するという広大なサンピエトロ広場は雑踏となっていた。 広場を見下ろす聖人たち。 1615年10月29日、支倉一行は盛大な入市式でローマ市に迎えられる。カトリックの総本山、現在のバチカン市国をなす、
千葉正樹
bottom of page