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トキワ荘とカタルーニャと

  • 執筆者の写真: 千葉正樹
    千葉正樹
  • 1 日前
  • 読了時間: 4分
復元されたトキワ荘前でひなたぼっこ。
復元されたトキワ荘前でひなたぼっこ。

東京、晩春の小旅行はトキワ荘マンガミュージアムと畏友、原正彦さんの写真展「カタルーニャ・クロッシング」を訪ねるものであった。相棒はいつものチール。

看板は当時の写真から復元された。
看板は当時の写真から復元された。

広場というものを考え続けて30年になる。今回の旅は、人びとが集う、という現象と意味、そして街にかならず広場が生まれるということ、などなど考える機会になった。

トキワ荘は現物は解体されて、ちかくに復元されている。生活感にあふれた展示から、若きマンガ家たちの広場であった時代を感じる。

ベランダも小さな「広場」だったかもしれない。
ベランダも小さな「広場」だったかもしれない。

マンガ家が集まったという意味で、まずトキワ荘自体が広場であった。そしてトキワ荘の中の一段階閉じられた、マンガ家だけの広場、ベランダや共同の炊事場がある。

漫画家たちが編集者と打ち合わせる(言い訳する?)のに使っていたという公衆電話も再現。
漫画家たちが編集者と打ち合わせる(言い訳する?)のに使っていたという公衆電話も再現。
あるマンガ家の部屋。窓の外は書き割り。
あるマンガ家の部屋。窓の外は書き割り。

四畳半のそれぞれの個室にも、マンガ家がたむろするとき、そこが広場となる。安酒で議論したり、歌ったり、私の大学生活とも連続する時空間だ。プライバシーが何より優先される今の学生生活とはずいぶん異なるのかもしれない。

チールは隠れて入場。
チールは隠れて入場。
ときどきは胸ポケットではしゃいでいたりする。
ときどきは胸ポケットではしゃいでいたりする。
再現は窓の汚れにまで及んでいる。
再現は窓の汚れにまで及んでいる。
炊事場。奥の洗い場で赤塚不二夫と石ノ森章太郎が体を洗っていたという。
炊事場。奥の洗い場で赤塚不二夫と石ノ森章太郎が体を洗っていたという。

とくに共同の炊事場が面白い。洗い場を風呂代わりにしたという赤塚不二夫と石ノ森章太郎。近くには鶴の湯というお風呂屋さんもあったのだけれど、日々の出費は抑える必要があった。それは「一流の音楽を聴き、一流の映画を観て、一流の演劇にいきなさい」という先輩、手塚治虫のアドバイスを実行していたからだ。

共同の炊事場はまた、限られた食物を分かち合う場所でもあっただろう。広場の機能としての「贈与と交換」が思い浮かぶ。

もうひとつ、キイワードとしての「余剰」を考える必要がある。限られた収入の中でも発生したであろう余剰は、文化に投資され、レコードや雑誌を貸し借りしたり、映画を奢りあったりする中で循環していく。

その余剰が消費される場としてのトキワ荘は全体が広場と化し、各部屋にもそれは及んでいた。広場的に、「私」が限定されていく世界。そこにマンガという文化が開いた。

ある意味、赤貧の生活。でも映画や音楽は欠かさなかった。
ある意味、赤貧の生活。でも映画や音楽は欠かさなかった。
近くの商店に貼ってあった赤塚不二夫展のポスター。
近くの商店に貼ってあった赤塚不二夫展のポスター。
シェーではじまる企画展の入口。中は撮影禁止。
シェーではじまる企画展の入口。中は撮影禁止。

トキワ荘の文化は、赤塚不二夫を通して、タモリに受け継がれたといえるかもしれない。赤塚はタモリという逸材に自らの私的な余剰を委ねた。住んでいたマンションを明け渡して生活の場とさせ、月に20万円の小遣いを与えながら、自分は仕事場のロッカールームで寝起きしたという。「私はあなたの作品です」というタモリの弔辞は感動であった。

小さな百貨店が小さな博物館に。
小さな百貨店が小さな博物館に。
あの「神田川」をイメージしたジオラマ。
あの「神田川」をイメージしたジオラマ。
本物のトキワ荘があったところにはアパートの「銅像」が。
本物のトキワ荘があったところにはアパートの「銅像」が。

トキワ荘マンガミュージアムを拠点として、いま街が動き始めている。かつて営業していた小さな百貨店は昭和レトロをテーマとした博物館となって、もう一つの核を作り上げている。全く日本語のできないらしい外国の方が、博物館で配られた地図を片手に、マンガの聖地巡礼をしていた。トキワ荘は世界の広場になりつつある。

炒りたてのコーヒーはほのかに甘く、美味しかった。
炒りたてのコーヒーはほのかに甘く、美味しかった。

もう一つであった広場が、原正彦さんの写真展「カタルーニャ・クロッシング」だ。クロッシングは交差点という意味で使ったのだろう。交差点は広場の大事な機能でもある。

まずカタルーニャという土地自体が交差点である。スペイン、フランス、イタリア、アフリカ大陸、人びとは歴史的にここをよぎりつづけ、さまざまな文化的影響を残していった。カタルーニャはそれを糧として、世界の文化的拠点となる。

原さんのひとつめの仕掛けは、カタルーニャを題材とする連続インタビューを行って、それを雑誌とホームページに公開していることだ。そこではメディアが本来の広場機能を持っている。興味をお持ちの方は、ぜひ「カタルーニャ・クロッシング」でネットを検索してみて欲しい。

そして写真展という現場は、来場者の交差する、まさにクロッシングな場であり、広場となっていた。ガウディの作品は多いが、あえて主軸とはされていない。カタルーニャの持つ多面性が、カラーとモノクロで表現されている。

ここには一日百人を超す来場者があるらしい。原さんはできるだけひとりひとりに説明していくのだから、その労力は大変なものだ。そうして、原さんはその肉体が「広場」と化している。原さんの大きい人柄が可能とした、二重、三重のクロッシングの空間は見事だった。

来場された方に説明する原さん(右側)。これが「クロッシング」の一貫なのだろう。
来場された方に説明する原さん(右側)。これが「クロッシング」の一貫なのだろう。
モノクロームとカラーが調和している。お客様は次々と。
モノクロームとカラーが調和している。お客様は次々と。
カタルーニャを象徴する真っ赤なバラが届いていた。
カタルーニャを象徴する真っ赤なバラが届いていた。

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