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私という新人類

  • 執筆者の写真: 千葉正樹
    千葉正樹
  • 7月14日
  • 読了時間: 2分

更新日:7月27日

十和田湖畔。父母の新婚旅行先。誕生日から逆算して、私はここで生を受けたことになる。
十和田湖畔。父母の新婚旅行先。誕生日から逆算して、私はここで生を受けたことになる。

 年譜はよほど暇のある方だけがご覧くだされ。

 紆余曲折の人生を過ごしてきた。仕事は6回変わった。大きい変化はふつうの社会人から研究者に転じたことにある。ちょうど40歳になるころであった。

 私の世代、すなわち1950年代半ばに生まれた仲間たちは、世に「シラケ世代」といわれたり、「新人類」といわれたりした。どちらかといえば「新人類」と言われる方が好きだったけれども。

 「シラケ世代」とは、70年安保で高揚していた学生運動が下火となり、政治という局面における若者の限界を見て「シラケ」、何事にもシニカルになっていたという点から名付けられたと思う。一方の「新人類」とは、前の世代が破壊してくれた権威の構造から自由になり、政治から文化へとシフトしていた私たちの行動に刮目した評論家や研究者が言うようになった言葉である。

 たとえば社会人当時の私は、同じ会社の同年代の女性だけがユニフォームを着させられて(もっとも男性もスーツにネクタイを強制されていたのだが)、湯茶の接待をし、重要な仕事から外されるのを奇妙に思っていた。今風に言えば、ジェンダーフリーな精神性が確固たるものとしてあった。それは学生時代に所属した民俗芸能を主体とする表現集団、芸能山城組において、男女の区別無く、何でも取り組んできた経験に裏打ちされていた。そこでは女性に圧倒されることもしばしばであり、ふつうに尊敬し、憧れたりしていた。仲間たちもそうだったろう。こうした私たちの感性は確かに「新しかった」。

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