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バリ島はホームグラウンド


チョコルダさんのこと
昼寝から覚めたらチョコルダさんがやってきた。 チョコルダさんにお世話になった日本人は多い。チョコルダさん、バリ風にいえば、チョッ・グデ・パルタ(Cok.Gde.Parta)さん。1943年、小学生のころ、第二次世界大戦で日本軍がやってきて、日本風の教育を受けた。ほんの少しだが日本語を話し、英語はかなり堪能、コミュニケーションに不自由はなかった。 いつもにこやかなチョコルダさんだが、バリ島の歴史や宗教、文化を語るときには独特の威厳を見せる。 チョコルダさんはシャトリヤ、つまり王族・士族の階層に位置する。バリ島はインドネシアでは珍しいヒンドゥー教の世界である。①ブラフマナ(聖職者)・②シャトリヤ・③バイシャ(商人・町人)・④スドラ(農民・平民)というカスタ(インドでいうカースト)があって、文化的には分けられている。 たとえばバリ語はカスタで違っていて、ブラフマナにはブラフマナの言葉がある一方、シャトリヤがブラフマナに話しかける際に使う言葉も存在するそうだ。その関係は極めて複雑で、文化人類学者でもバリ語を習得することをためらう。 一方、インドネシア語は

千葉正樹
4 日前読了時間: 4分


モノクロームのバリ島
宿の庭に咲いていた、黄色かピンクの蘭。 花々に群れ飛ぶ蝶と鳥たち、壮麗な夕焼け、果物、極彩色に彩られた祭りの庭、バリ島は色彩にあふれている。だがなぜかこのとき、1995年12月、私はすでに馴染み始めていたポジフィルムではなく、モノクロのネガフィルムを持って、バリ島に行った。 高原の湖にはウルン・ダヌ寺院がある。空の色が湖面を染める。 バリ島の霊峰アグン山。水田と椰子の緑に浮かんでいた。 バリ島から帰ってきたらすぐにかみさんは手術を受けることとなっていた。私は修論の提出があった。そんなとき、どうしてもバリ島に行きたくなったのだった。白黒の世界にバリ島とかみさんへの思いを焼き付けたかった。 私を狙うかみさん。 撮られた私。このとき39歳。すでに白髪が目立つ。 実質的にこれが最後のモノクローム撮影となる。博物館の展示設計や地域活性化のプランニングという仕事と、大学の研究発表にはスライドが欠かせなかった。私は次第にポジフィルム主体で撮影するようになっていた。 宿の朝食。ミー・クワッ(汁麺)と果物、バリコーヒーの組み合わせ。 部屋の入口を守る聖獣像。極彩色

千葉正樹
10月18日読了時間: 4分


たまには日本語から離れたい
バリ島のカフェで。10日も滞在しているとローマ字が自然に頭に入ってくる。 日本語に、それも江戸時代の日本語に浸っている毎日から、時には解き放たれたくなる。もともと文化人類学を指向していたこともあって、世界を旅しながら、いろいろと考えてきた。毎日、旅日記をつけ、数十枚の写真...

千葉正樹
7月14日読了時間: 2分
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