top of page
ご覧いただいた方は、私のお客様です。ご意見やご感想を寄せいただけることで、励みになります。お気軽にお声がけください。
歴史は生きている


名古屋は春
名古屋の桜を楽しむたびくま、チール。 名古屋は爛漫の春であった。 今回の旅は、昨年2月に逝去された曽根原理さんのご業績を偲ぶ宗教思想史のシンポジウムに出席するため(3月22日・同朋大学)。たくさんの方がお集まりになり、曽根原さんが追求していた家康を神とした東照大権現を核とし、人が神になるという思想を追って、白熱した議論が交わされた。とても勉強になった。 さて、仙台から参加した私は前後の2泊をせざるを得なかった。おかげで以前から気になっていた名古屋城下町を、大急ぎで探索することができた。ひつまぶしにきしめんも堪能した。 内堀に近づかないと天守は見えなかった。 桜祭りで夜間開場していた。 名古屋に来たなら金のしゃちほこは欠かせない。 名古屋城下町は、家康が手がけた最後の都市建設となる。家康の天下が定まった慶長15(1610)年に建設を開始し、大坂夏の陣を終えた、元和元(1615)年に完成する。 江戸・大坂につぐ規模を持つ天守を高々とそびえさせ、整然と碁盤の目状の直線道路で町がプランされ、武士と町民をきちんと分けて、東海道を始めとする幹線を組み込んで、

千葉正樹
13 時間前読了時間: 4分


支倉常長の旅・ローマ編
ジャニコロの丘から遠望するローマ。 1615(元和元)年10月25日、支倉常長の一行はローマに入った。旅の最終目的地である。法皇の直接の命によって、仙台領での布教を行ってもらうことは、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)との交易路開拓と並ぶ、二大ミッションであった。非公式ではあったが、この日、支倉は教皇パウロ五世に謁見している。 私たち夫婦は、1989(平成元)年3月26日にローマに行っている。この前の日、私たちは結婚式を挙げた。つまり新婚旅行である。古代ローマの遺跡を見たかったし、ルネサンスの美術にも触れたかった。美味しいと聴くイタリア料理にもときめいていた。かみさんが支倉常長のマンガを依頼されるのはこの二年後である。支倉の旅を追いかけてローマに行ったわけではなかったが、このときの体験は大いに参考になった。 日曜日、法皇さまの祝福を受けようと、2万人を収容するという広大なサンピエトロ広場は雑踏となっていた。 広場を見下ろす聖人たち。 1615年10月29日、支倉一行は盛大な入市式でローマ市に迎えられる。カトリックの総本山、現在のバチカン市国をなす、

千葉正樹
3月14日読了時間: 5分


支倉常長の旅・スペイン編
支倉のヨーロッパ最初の正式訪問地、スペイン・セビーリャ。その象徴、ヒラルダの塔。 私たち夫婦がはじめてスペインに行ったのは、1989(平成元)年12月から翌1月にかけて、団体旅行の旅だった。その次の年に、かみさんに支倉常長のマンガを描く話が持ち上がる。支倉一行の足跡を追う旅ではなかったが、重なるところも多く、あとあと参考になった。 支倉一行の宿泊地、セビーリャのアルカサル(王宮) アルカサルは14世紀の王、ドンペドロ1世が建て、イスラム風の装飾が見事だ。 支倉一行がスペイン、アンダルシアの中心地、セビーリャに到着したのは、1614(慶長19)年10月27日。一行の案内役、フランシスコ派の修道会士、ルイス・ソテロの出身地だ。一行は大歓迎を受けた。 宿泊したのは、アルカサルとよばれる王宮、現在のスペイン王室でも離宮となっている。14世紀のカスティーリャ王、ドン・ペドロ1世が建設した。ドン・ペドロ1世は青池保子の傑作『アルカサル―王城―』の主人公。織田信長に似ているといったらいいか、残酷王とよばれる厳しい一面とともに、近世を切り開く傑出した才を発揮した

千葉正樹
2月28日読了時間: 4分


支倉常長の旅・メキシコ編
アカプルコの港近くの公園に立つ支倉常長の銅像。仙台と石巻にある、佐藤忠良製作のブロンズ像と同じ鋳型から作られた。 1991年の7月、私たち夫婦はメキシコに行った。慶長遣欧使節、支倉六右衛門常長の足跡をたどり、その見た景色を確認するためである。 ちなみに支倉常長と表記されることの多い支倉だが、史料上確認できるのは「支倉六右衛門」であって、「常長」は「長常」であったかも知れないとされる。ここでは支倉で統一して、話を進めたい。 なぜ、支倉の旅を追うこととなったか。それは前年の暮れ、仙台の出版社、宝文堂から、その事跡をマンガ化するという企画がかみさん、真弓のもとに持ち込まれたからであった。このマンガは翌1992年4月、『ファシクラ伝―支倉常長・サムライ地球を駆ける』として結実する。「ファシクラ」とは支倉のラテン語表記をそのまま発音した場合、そうなるからである。 いまはリゾート地として繁栄するアカプルコだが、かつては太平洋交易の中心だった。 支倉の旅は太平洋横断に始まる。伊達政宗と徳川家康の共同で進められた遣欧事業は、まずメキシコに到達することを目指した。

千葉正樹
2月11日読了時間: 7分


震災の街をいく
名取市北釜の神社。津波に流されずに残った。左手の青い標識の線まで波は到達した。 閖上の防災公園。モニュメントの一番上が津波の高さ。 名取市史の編さんをお手伝いしている。東日本大震災の津波で市域の半分が浸水した街、海沿いの一帯には史料が残されていない。手がかりは限られている。 しかし、閖上=ゆりあげと読める人は増えた。震災以前は宮城県内でも読める人は限られていただろう。閖上にボランティアのみなさんが入ったり、マスコミに取り上げられたりする中で、失われた街、閖上は地名を人口に膾炙していった。 かつての閖上の街を記憶からよみがえらせた模型。家の名前が地元の人びとの手で加えられた。 閖上は仙台城下からそれほど遠くはない。江戸時代でも日帰りが可能だった。そこは魚影が濃く、水鳥が集っていた。仙台藩の歴代藩主は御仮屋、すなわち狩遊のための施設を維持しつづけ、時には泊まりがけで、鷹狩りや漁りを楽しんだ。そこには地域の有力者も訪れ、贈答とともに地域情報が集積する場ともなったのであろう。藩主はときに政治をも行った。「御家」すなわち行政機関であった時代である。...

千葉正樹
2025年10月27日読了時間: 2分


モノクロームのバリ島
宿の庭に咲いていた、黄色かピンクの蘭。 花々に群れ飛ぶ蝶と鳥たち、壮麗な夕焼け、果物、極彩色に彩られた祭りの庭、バリ島は色彩にあふれている。だがなぜかこのとき、1995年12月、私はすでに馴染み始めていたポジフィルムではなく、モノクロのネガフィルムを持って、バリ島に行った。 高原の湖にはウルン・ダヌ寺院がある。空の色が湖面を染める。 バリ島の霊峰アグン山。水田と椰子の緑に浮かんでいた。 バリ島から帰ってきたらすぐにかみさんは手術を受けることとなっていた。私は修論の提出があった。そんなとき、どうしてもバリ島に行きたくなったのだった。白黒の世界にバリ島とかみさんへの思いを焼き付けたかった。 私を狙うかみさん。 撮られた私。このとき39歳。すでに白髪が目立つ。 実質的にこれが最後のモノクローム撮影となる。博物館の展示設計や地域活性化のプランニングという仕事と、大学の研究発表にはスライドが欠かせなかった。私は次第にポジフィルム主体で撮影するようになっていた。 宿の朝食。ミー・クワッ(汁麺)と果物、バリコーヒーの組み合わせ。 部屋の入口を守る聖獣像。極彩色

千葉正樹
2025年10月18日読了時間: 4分


二条城に向き合う
ようやく秋らしくなった。京都、二条城が青空に映える。 二条城は50年ぶりの訪問となる。当時、浪人中だった私は、予備校の隣にあるという理由でこのお城に行けたのだった。中学生以来の城ファンとして、「城らしい城」を半日楽しんだ。 しかし今、改めて見直すとこの城の異様さが目につく。...

千葉正樹
2025年10月7日読了時間: 4分


祭りの街に宿はなかった
赤茶けた平原の中、モンサラースは城壁に囲まれて、忽然と現れた。 旧市庁舎の2階から見た中央広場にはかつて絞首刑に使われた石柱が立っている。 イベリア半島の古い小さい町には必ず中央広場がある。2,30メートル四方の石畳の空間・聖堂・バルbar・市庁舎・旅館・井戸・絞首刑用の処...

千葉正樹
2025年9月4日読了時間: 4分


仙台幻夢譚Ⅱ
母のマクラメ編みの窯神さま。母はマクラメの講師をしていた。 新築の家には親類一統から大きな窯神さまを贈るのが仙台地域の習わしだった。我が家にも現在、システムキッチンの上に鎮座している。その窯神さまをマクラメ編み(84年当時流行していた)で仕上げた母の作品。どこに行ってしまっ...

千葉正樹
2025年8月6日読了時間: 2分


仙台幻夢譚
ケヤキ並木もひょろひょろしていた。 40年という時間は短くはない。モノクロームの仙台をしばらく追いかけてみたい。 アイドルのポスターを剥がそうとして失敗した跡。 一番町にあった水時計。「時計前」が待ち合わせのポイントだった。 高層ビルといえるのは県庁くらいだった。...

千葉正樹
2025年7月27日読了時間: 1分


ノイシュバンシュタイン城の空虚感
ノイシュバンシュタイン城を見るためだけにつくられたマリエン橋から。 ドイツは豊かである。広い平原は農地と森の緑で覆われ、歴史ある都市群には中世から伝わる景色があり、街路は清潔で、人びとは穏やかに接してくれる。このドイツを象徴する写真といえば、ノイシュバンシュタイン城だろう。...

千葉正樹
2025年7月27日読了時間: 2分


遠野の「ふつう」に惹かれて
遠野のふつうの市民だけで、素敵な舞台を創り上げる。「遠野物語ファンタジー」。 柳田国男という巨人に出会わない、日本の人文学研究者は少ないだろう。その『遠野物語』に魅惑されて、遠野の町を訪ねると、そこにはふつうの田舎町が待っている。...

千葉正樹
2025年7月20日読了時間: 3分


ポルトガルの村の「牛殺し」
スペイン風にケープで牛を裁く村人 祭の初日、モンサラースは闘牛を行った。場所は城塞の本丸にあたる部分にある広場型の空間である。規模は町の中央広場より一回り大きく、舗装されていない。かつては城に起居する騎士たちが武技を競う、〈騎士の広場〉であったのだろう。周囲は見物席になっ...

千葉正樹
2025年7月15日読了時間: 3分


9.11の時、ポルトガルで熱を出していた。
2001年9月13日、アメリカ同時多発テロから2日過ぎて、リスボンのサンジョルジョ城には半旗が掲げられていた。 9.11、世界が変わったあの日、私はポルトガル南部の町、エヴォラで発熱し、ホテルでひとり寝ていた。昼過ぎだろうか、食料品の買い出しに行ってくれていた妻がテレビを...

千葉正樹
2025年7月15日読了時間: 3分
bottom of page