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まちの声


震災の街をいく
名取市北釜の神社。津波に流されずに残った。左手の青い標識の線まで波は到達した。 閖上の防災公園。モニュメントの一番上が津波の高さ。 名取市史の編さんをお手伝いしている。東日本大震災の津波で市域の半分が浸水した街、海沿いの一帯には史料が残されていない。手がかりは限られている。 しかし、閖上=ゆりあげと読める人は増えた。震災以前は宮城県内でも読める人は限られていただろう。閖上にボランティアのみなさんが入ったり、マスコミに取り上げられたりする中で、失われた街、閖上は地名を人口に膾炙していった。 かつての閖上の街を記憶からよみがえらせた模型。家の名前が地元の人びとの手で加えられた。 閖上は仙台城下からそれほど遠くはない。江戸時代でも日帰りが可能だった。そこは魚影が濃く、水鳥が集っていた。仙台藩の歴代藩主は御仮屋、すなわち狩遊のための施設を維持しつづけ、時には泊まりがけで、鷹狩りや漁りを楽しんだ。そこには地域の有力者も訪れ、贈答とともに地域情報が集積する場ともなったのであろう。藩主はときに政治をも行った。「御家」すなわち行政機関であった時代である。...

千葉正樹
2 日前読了時間: 2分


母都市コニンブリガ
コニンブリガの遺跡で思いをはせるチールとダダーチャ。 コニンブリガの一角に復元されたローマ時代の中庭。 ポルトガルの中北部、コインブラの近郊にローマ時代の都市遺跡、コニンブリガがある。相次ぐ異民族の侵入か飢渇か、コニンブリガの住民はこの街を捨てた。そして近くにできたのが中世...

千葉正樹
9月18日読了時間: 3分


仙台幻夢譚Ⅱ
母のマクラメ編みの窯神さま。母はマクラメの講師をしていた。 新築の家には親類一統から大きな窯神さまを贈るのが仙台地域の習わしだった。我が家にも現在、システムキッチンの上に鎮座している。その窯神さまをマクラメ編み(84年当時流行していた)で仕上げた母の作品。どこに行ってしまっ...

千葉正樹
8月6日読了時間: 2分


仙台幻夢譚
ケヤキ並木もひょろひょろしていた。 40年という時間は短くはない。モノクロームの仙台をしばらく追いかけてみたい。 アイドルのポスターを剥がそうとして失敗した跡。 一番町にあった水時計。「時計前」が待ち合わせのポイントだった。 高層ビルといえるのは県庁くらいだった。...

千葉正樹
7月27日読了時間: 1分


1984年、モノクロでスタートした
東京・大塚のまちかどで。 バリ島の仮面をつけて寝ている芸能山城組の後輩 写真を始めたのは、芸能山城組の山城祥二組頭への憧れからだった。バリ島の奥地やコンゴの密林に分け入って、撮ってくる写真の迫真性と深い洞察力にまいった。...

千葉正樹
7月14日読了時間: 2分
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