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私の素顔


本家という存在
1993(平成5)年2月の千葉本家。江戸時代に建設され、かつては茅葺きだった。 三男坊である父の実家は、我が家では本家と呼び、盆正月には泊まりがけで訪問するならいだった。集まった祖父母、父の兄弟である叔父叔母、いとこたちにその配偶者も合わせると、20数名に及んだ。江戸時代に建てられた本家の母屋には、布団が敷き並べられ、全員で泊まることができた。 本家という存在は、令和の時代ともなると意識から遠のいてきたが、イエ制度に支えられてきた日本社会を考える上で重要なのは言うまでもない。大学では、名作「となりのトトロ」に例をとって、本家の位置づけ、本分家関係などを説明したものだった。 今は亡き本家の叔父と叔母。叔父の座っている場所が横座で、本家の当主以外は使うことが許されなかった。 亡くなった父からは千葉の家は平家で、かつては武士であったと聴かされていた。確かに千葉氏は桓武平氏で、下総国千葉荘(現在の千葉市)を領有したことから始まったとされる。古い家であることは確かで、私が預かっている史料「畑岡村風土記御用書上」には、「代数有之百姓」として、本家の本家、すな

千葉正樹
1月19日読了時間: 5分


まち研バリ島研修旅行
バリ島ではやっていた飲み物、グリンサン。ノンアルビールを少し甘くした感じ。 1984年、病気で仙台に帰った私は、フリーの地域文化プランナーとして活動後、1987年12月に有限会社まちのほこり研究室(通称まち研)を設立して、歴史民俗学系博物館の展示などを仕事とするようになる。 1992年8月には、私たち夫婦を含むまち研のスタッフ5名に、高校以来の友人で仕事仲間のOさんを加えて、バリ島へ研修旅行に出かけた。7泊(機中1泊)9日の予定であった。滞在先はプリアタン村アグン王宮内のチョコルダさんが経営する民宿スマラバワ。ビーチには見向きもせずに、ディープにバリ島文化に浸る旅となった。 夜明けのプリアタン村、アグン王宮。 バリ島の美しい棚田と水系、それを制御する寺院と思想トリヒタカラナは、現在、世界文化遺産となって、多くの観光客を惹きつけている。92年当時は世界遺産の話も出ていなかったが、私たちの旅も水をめぐるものとなった。 その後世界遺産となった棚田。 その景色を狙うOさん。 当時のバリ島はまだのんびりしたもので、世界的観光地ではあったけれども、リゾートホ

千葉正樹
2025年12月23日読了時間: 5分


モノクロームのバリ島
宿の庭に咲いていた、黄色かピンクの蘭。 花々に群れ飛ぶ蝶と鳥たち、壮麗な夕焼け、果物、極彩色に彩られた祭りの庭、バリ島は色彩にあふれている。だがなぜかこのとき、1995年12月、私はすでに馴染み始めていたポジフィルムではなく、モノクロのネガフィルムを持って、バリ島に行った。 高原の湖にはウルン・ダヌ寺院がある。空の色が湖面を染める。 バリ島の霊峰アグン山。水田と椰子の緑に浮かんでいた。 バリ島から帰ってきたらすぐにかみさんは手術を受けることとなっていた。私は修論の提出があった。そんなとき、どうしてもバリ島に行きたくなったのだった。白黒の世界にバリ島とかみさんへの思いを焼き付けたかった。 私を狙うかみさん。 撮られた私。このとき39歳。すでに白髪が目立つ。 実質的にこれが最後のモノクローム撮影となる。博物館の展示設計や地域活性化のプランニングという仕事と、大学の研究発表にはスライドが欠かせなかった。私は次第にポジフィルム主体で撮影するようになっていた。 宿の朝食。ミー・クワッ(汁麺)と果物、バリコーヒーの組み合わせ。 部屋の入口を守る聖獣像。極彩色

千葉正樹
2025年10月18日読了時間: 4分


アゴラの石の床
今日はギリシアの話をしようか。国旗を持っているのはたびくまチャチャイ。 このブログではヨーロッパの歴史的広場を見ていきたい。まずハンナ・アーレントらの着目する古代ギリシアのポリスにおける広場、アゴラαγοραがある。 アテネは古代遺跡の世界。地下鉄は遺跡をよけて、ときに地上...

千葉正樹
2025年8月25日読了時間: 4分


私という新人類
十和田湖畔。父母の新婚旅行先。誕生日から逆算して、私はここで生を受けたことになる。 年譜はよほど暇のある方だけがご覧くだされ。 紆余曲折の人生を過ごしてきた。仕事は6回変わった。大きい変化はふつうの社会人から研究者に転じたことにある。ちょうど40歳になるころであった。...

千葉正樹
2025年7月14日読了時間: 2分
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