祭りの街に宿はなかった
- 千葉正樹
- 4 日前
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更新日:2 日前


イベリア半島の古い小さい町には必ず中央広場がある。2,30メートル四方の石畳の空間・聖堂・バルbar・市庁舎・旅館・井戸・絞首刑用の処刑台がその装置である。
2001年9月8日、ポルトガル南部、スペインとの国境地帯にある山岳城塞都市モンサラースMonsarásでは秋のフィエスタ(収穫祭)が行われた。この町は周囲の平原から300メートルある岩山の上にあり、全体が城壁で囲まれている。住居は122区画、うち商店専用の家屋や空き家があり、実際に住んでいるのは数十戸である。

城壁の内側に郵便局・レストラン・食料品店・土産物屋はあるが、学校・警察・消防署・病院・パン屋はない。ローマ時代に起源を持つ古い都市だが、現在はやや離れたところにモンサラース・レゲンゴスMonsarás Reguengosという新しい都市を展開している。そこのインフォメーションの看板に、レゲンゴスは太陽、「古い」モンサラースは月である、と表現されているように、もともとのモンサラースは一つの都市の部分と化している。市庁舎は外国人相手のインフォメーションとなり、処刑台は街灯に転用されていた。


午後五時半、ミサが始まり、隣接する広場に人が集まり始めた。約400人ほどだろうか。家屋数から考えて、人口の八、九割は集まったと考えられる。30メートル四方の広場にちょうど満杯である。3,40人の観光客が遠巻きに見つめる。


6時、旗二流を先頭に行列が作られ、レゲンゴス地区からきたアマチュア・ブラスバンドの演奏に合わせて、歩き始めた。出発に合わせて大型のロケット花火が上がる。旗の次がマリア像、十字架を担いだキリスト像、火のついた蝋燭を捧げる一般の人々という順番である。マリア像を担ぐ内のひとりは裸足の中年女性であった。


ブラスバンドなどの制服姿を除き、参加者は現代風に精一杯のおしゃれをしていた。乳児も乳母車で参加する。拡声器を持った司祭は主立った参加者の名前を読み上げていく。男性が胸に付ける紫に金文字のリボンは特殊に背の低い、真っ黒なサングラスを掛けた男性が販売していた。

行列は城門から外に出て、十軒ほどある城壁外の民家をめぐって、また広場に帰っていった。レゲンゴス地区には足を踏み入れていない。


と、ここまではよかった。中世に起源を持つであろう祭りを体験して、とても満足していた。
しかし我々はひとつの問題を抱えていた。すなわち夜を過ごす宿がない!ガイドブックには観光客用の民宿がいくつもあると書いてあったのだが、祭りには元モンサラース市民も訪れる。観光案内所の係員は静かに首を振った。
解決してくれたのはレストランのご主人だった。「昔、修道院だったところが客を泊めている。」
案内されたのはまさに修道院。街から1㎞ほど離れた荒野に建っていた。ここで2泊し、闘牛も見た。そこの管理人さんの車で近くの都市、エヴォラに送っていただいて、事なきを得たのである。
このへんの顛末はそのうち、かみさんの描いた同時進行旅マンガでご紹介しよう。


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