仙台幻夢譚Ⅱ
- 千葉正樹
- 8月6日
- 読了時間: 2分
更新日:8月7日

新築の家には親類一統から大きな窯神さまを贈るのが仙台地域の習わしだった。我が家にも現在、システムキッチンの上に鎮座している。その窯神さまをマクラメ編み(84年当時流行していた)で仕上げた母の作品。どこに行ってしまったか。

今はパレード型の催しとなった青葉まつり。しかし第1回は、城下町を再現して、そこでいろいろなパフォーマンスや販売を行う、博覧会型のものであった。わたしは第2回のパレード型の祭りに改変する際に参加し、すずめ踊りの復活プロジェクトなどに関わることとなる。第1回の青葉まつり会場にはその後、仙台国際センターが建てられた。

仙台北山の輪王寺さんのはすむかいには横田やというおもちゃ屋さんがあって、今も営業を続けている。こういった、伝統建築は空襲を免れた、仙台中心部から少し離れた地域に、ドーナツ状に残っていたが、今そのほとんどは道路の拡幅と相続という転換によって、マンション街に姿を変えている。

いつごろからだろうか、家の中で犬を飼うようになったのは。犬小屋を見かけることが少なくなってきた。服を着せられた犬も見かけた覚えがない。専用の栄養バランスを考えたドッグフードを食べさせられるようになり、汁掛け飯を与えらていた犬たちは長寿になった。

街の使い方もずいぶん変わった。一番町の路上には、工事中の塀で囲まれた場所などで路上の物品販売がふつうに行われていた。今もアクセサリー売りなどをたまに見かけるが、野菜や花など、もっと日常的なものを売っていた気がする。
40年前は、自分の感覚では地続きの「現代」なのだが、子細に見ていくとすでに「近代」の領域に入っている。中学校の社会科教科書に「昭和時代」というくくりがあるのを見て驚いたのは、3年ほど前だったか。

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