1984年、モノクロでスタートした
- 千葉正樹
- 7月14日
- 読了時間: 2分


写真を始めたのは、芸能山城組の山城祥二組頭への憧れからだった。バリ島の奥地やコンゴの密林に分け入って、撮ってくる写真の迫真性と深い洞察力にまいった。
1984年秋、28歳の私は病気で会社を辞め、そのわずかな退職金で「カメラロボット」CanonA1を取得、マニュアル首っ引きで、おそるおそるシャッターを切り始めた。

臆病な私は、堅実なところがある。写真を始めるにあたって、教科書通りにまずモノクロから始めた。シルエットにした時にも形となっていることを強く意識していた。フィルムはコダックのトライエックス、それを増感することも多く、固い仕上がりである。たぶんキャパへの憧れもあった。

ほぼ40年ぶりに当時の写真と出会って感じたのは、まず一枚一枚が丁寧に撮られているということ。フィルムは高価で現像も大変である。一日一本、36枚のシャッターを切るのがせいぜいだった。ディジタル化してから、写真は気軽に撮って、後から選ぶものになったが、当時は現場での勝負であった。


自分の写真の特徴は、84年当時の習作にも出ている。
まず、人物写真が圧倒的に少ない。今でも人にレンズを向けることはあまりしない。興味を持っていたのは2点、①失われていこうとしているものたち、②人工空間の面白さ、である。すなわち歴史と都市ということになる。
その後の私の営みにレールが曳かれたのであった。
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