ケチャまつりの55HIROBA
- 千葉正樹

- 12 分前
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ケチャまつりは、新宿三井ビルの55HIROBAで毎夏開催される、芸能山城組のお祭りだ。ケチャとはインドネシア、バリ島の民俗祭祀芸能、百人近い半裸の男たちが「チャッ、チャッ」という叫びで16ビートのリズムを紡ぎ出し、そのなかできらびやかな衣装に身を包んだ踊り手たちがインドの古代叙事詩『ラーマーヤナ物語』を演じていく。
この祭りは1976年に始まり、今回、2026年で第48回となる。コロナ禍で3回の中断があったが、半世紀に及ぶ歩みを積み重ねてきた。すっかり新宿の夏の風物詩として定着し、入場は無料、5日間の期間中、延べ1万人を超える観客で賑わう。
演じる芸能山城組は、組頭・山城祥二(科学者としては本名の大橋力)に率いられた、アマチュアの、音楽芸能活動を中心とする都市型コミュニティである。東京を中心とするが全国にメンバーが広がり、私もその一員である。
山城組は映画『AKIRA』の音楽を担当して、広く知られるようになったが、活動は世界でブルガリア以外で最初に再現に成功したブルガリア民族合唱、いわゆるブルガリアンヴォイスや、ジョージアの伝統合唱、そしてバリ島のガムラン音楽に日本の伝統芸能と幅広い。また芸能活動以外にも、裏方を始めとする祭り作りや研究活動など、何でも手作りで行っていて、たとえば山城=大橋は可聴域を超える音の人体への好影響、ハイパーソニックエフェクトを発見して、世界に影響を与えている。
今回は、このケチャまつりと55HIROBAの話から、広場という空間について、考えてみたい。
なお、写真の多くは2026年のものだが、一部(特に夜の部)、2015年のものが入っている。この年、入院あけの私は祭りに参加することができず、おかげさまで一観客として祭りを堪能したのであった。



新宿三井ビルは、1984年、奇しくも芸能山城組が産声を上げたその年に完工した、新宿高層ビル街では「老舗」の建物だ。55HIROBA(最初は55広場と言った)はその足下にある、公開空地である。
小学校の校庭の半分くらいというイメージだろうか、一段掘り下げた位置に広がる、半地下の広場である。なかにはケヤキを主とした植樹が施され、周囲が壁面となっていることもあって、落ち着いた、緑の空間となっている。
四方に入口があるのも特徴で、出入りは自由(夜間は閉鎖)、ふだんはビルに勤める方たちの昼食や憩いの空間として機能している。








ケチャまつりの開催中、広場には露店が並ぶ。葭簀とバリ島直輸入の飾り布、バリ島の祭りの旗で彩られていて、華やかである。私はここで山城組のCDや書籍、グッズを扱う山城堂の経営に参加している。
買い手を中に入れない、対面型の営業という点で、それは江戸に多数みられた床店(とこみせ)とそっくりである。江戸では古着や浮世絵、食べ物など、庶民の生活を支える品々は床店で商われた。
江戸の広場において、床店の営業はその出発点となった。詳しくは拙著『江戸の広場と公共性』(2025年吉川弘文館)を御覧いただきたいが、江戸に多数あった防火用空地、火除地(ひよけち)には、本来の目的を離れて、まず床店群が進出した。営業者も江戸の裏店(長屋)住まいの庶民、買い手もそうである。


床店より一段広いのが、葭簀張(よしずばり)と呼ばれる、葭簀で囲った、多数の人びとが中に入る仮設の施設である。特に水茶屋は江戸の街には欠かせないものであった。徒歩交通の江戸では当然、水分の補給と休息が必要である。水茶屋には美貌の娘たちがいて、茶と軽食を提供した。広場には葭簀張の茶屋も並んでいた。
ケチャまつりでは「お休み処」がちょうどその水茶屋の機能を果たしている。葭簀で覆ってはいないが、ケヤキの木陰で暑熱を防げる。バリ島でよく飲まれる、インドネシア産ビール、ビンタンは氷水で冷やしてある。
その美味しそうなこと!ケチャまつりの運営に忙しい私たちは、ビンタンを横目に頑張るのである(最終日、撤収終了後にビンタンで祝杯を挙げている)。






祭りと広場の中核は芸能である。江戸の広場ではやはり葭簀張と呼ばれる仮設の舞台がしつらえられ、芝居や浄瑠璃、軽業、手品や講談が演じられていた。それを目当てに人びとが集まり、その人びとが水茶屋で憩い、床店で買い物をするのである。したがって、中央に芸能があって、それを取り巻いて水茶屋があり、そこから一歩離れて床店があるという空間構成が望ましい。それは東京ディズニーランドなどのテーマパークとまったく類似する。
ケチャまつりでは、広場の北にしつらえられたバリヒンドゥーの門前と、そして1階と結ぶ階段が、芸能の空間となる。午後3時ころ、高層ビルの蔭が伸びてきて、広場に涼風を運んでくれる。そのころから芸能がスタートし、楽器の音や歌声に惹かれて、続々と観客が集まってくる。










そして夜。ケチャまつりは最高潮を迎える。元祖バナナマンのたたき売りから、ガムランの演奏と踊り、奥山行上流餅田鹿踊保存会の演舞、最後にケチャと、暗闇を味方に、照明効果を加えて、祭りは盛り上がっていく。ケチャを行うころにはあまりの人出に入場制限をかけるほどになる。
江戸の広場でも夜の興行があった。ただ照明には限界があったろう。それを打ち破るものとして、花火があった。両国橋の袂に広がる広小路は、大規模な火除地である。夏の涼を求めて、人びとは川船を仕立て、橋に群集して、花火を楽しんだのであった。現在につながる、隅田川の川開きは、江戸の広場の楽しみであった。
江戸の広場と、ケチャまつりの55HIROBA、そこには人間本来の、DNAレベルを直撃する、何物かがつながっている。



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