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サウンドオブミュージックの作り方

  • 執筆者の写真: 千葉正樹
    千葉正樹
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分
トラップ一家の「居城」となったレオポルツクロン城。
トラップ一家の「居城」となったレオポルツクロン城。

1965年に公開された『サウンドオブミュージック』は我が青春の映画でもある。甘酸っぱい思い出に惹かれて、今回のオーストラリア旅行の誘因ともなった。モーツァルトが生まれた音楽の都、ザルツブルクは『サウンドオブミュージック』の舞台、そこかしこにロケ現場がある。

今回のガイドさんは、映画についてとてもよくご存知で、愉快な説明をしてくださった。少し紹介しながら、映画の本質について、ちょっぴり考えてみたい。

マリアとトラップ大佐の結婚式はモントゼーの教会でロケが行われた。
マリアとトラップ大佐の結婚式はモントゼーの教会でロケが行われた。
ちょうどキリスト昇天祭でミサが行われていた。
ちょうどキリスト昇天祭でミサが行われていた。
教会外の広場は民族衣装でお祭り気分。ワインが次々開けられている。
教会外の広場は民族衣装でお祭り気分。ワインが次々開けられている。

映画の舞台として最初に案内していただいたのは、ザルツブルク郊外のモントゼーの教会。モントゼーとは英語で言うならmountain sea=山の海、近くに湖のある、山の中の小さな街だ。

ここがマリアとトラップ大佐の結婚式のロケ場所となった。ちょうどキリスト昇天祭でミサをあげていたので、雰囲気を味わうことができた。

ただ、実際に結婚式が行われたのは、マリアが見習い修道女として暮らしていた、ザルツブルクのノンベルク修道院。映画でもそこで結婚式を挙げたように外観を見せて、内部のシーンだけ、ぽんとモントゼーの教会に飛んでいた。修道院ではさすがに映画のロケはできなかったのだろう。時空間を圧縮する、映画ならではのトリックである。


本当はこちらでロケをしたかったのだろう。マリアのいたノンベルク修道院の聖堂。
本当はこちらでロケをしたかったのだろう。マリアのいたノンベルク修道院の聖堂。
マリアが一度は諦めて帰ったノンベルク修道院の入口。
マリアが一度は諦めて帰ったノンベルク修道院の入口。

他にも修道院では大事なシーンがいくつもあったが、それはハリウッドのセットで撮影されたようだ。セットといえば、今回感心したのは、オーストリア脱出を図る一家が隠れたシーンに使われたザンクトペーター墓地だ。

写真ではわかりづらいが、修道院に隣接するこの墓地は、墓石が背後の壁と一体になっている。後ろには潜り込めない。しかし映画では、マリアと大佐、7人の子供たちが墓石の裏に隠れていたのである。精巧に「復元」された墓地は、空間に操作が行われていた。

ザンクトペーター墓地。マリアたちトラップ一家が隠れたことになっている。
ザンクトペーター墓地。マリアたちトラップ一家が隠れたことになっている。
ノンベルク修道院に向かう石畳の坂道。ナチスの自動車がプラグを抜き取られたシーン。
ノンベルク修道院に向かう石畳の坂道。ナチスの自動車がプラグを抜き取られたシーン。
マリアたちが越えた国境の山々。そこには南ドイツがあるのだが。
マリアたちが越えた国境の山々。そこには南ドイツがあるのだが。

きわめつけは、一家がどこに逃げたか、である。映画ではザルツブルクに近い、アルプスの峰を助け合って徒歩で越えたこととなっている。ザルツブルクには確かに南アルプスの連山が接している。

しかしその向こうにスイスはない。ドイツの領土が広がっている。マリアたちは苦労して、ナチスドイツの懐に入ってしまったのか。現実のトラップ一家は、鉄道でイタリアに逃げ込んだようだ。

あの、「すべての山を登れ」という名曲は、人生の山を登ることと、実際の山を登ることを掛け合わせて、私たちに感動を生んでくれる。しかしそれは映画だからできた、幻想の山々であった。

現在、時空間の圧縮や存在しない空間の創造などは、コンピューターの助けを借りれば、画面上で簡単にできる。ロケに頼らない、セットに頼らない映画はふつうになった。それだけに苦労して作り上げた『サウンドオブミュージック』の世界はいまも胸に迫るのかもしれない。


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