ポルトガルの村の「牛殺し」
- 千葉正樹

- 7月15日
- 読了時間: 3分

祭の初日、モンサラースは闘牛を行った。場所は城塞の本丸にあたる部分にある広場型の空間である。規模は町の中央広場より一回り大きく、舗装されていない。かつては城に起居する騎士たちが武技を競う、〈騎士の広場〉であったのだろう。周囲は見物席になっていて、夕方には地元の女性や子供、老人たちでいっぱいになった。闘牛場を囲む壁の一角はバルである。そこでは、開始時間が近づいても男たちがビールを飲み、ふざけ合っている。その半数は、牛をデザインしたTシャツを着用する闘牛同好会員である。華やかな衣装に身を包んだマタドールはいない。



内容は闘牛というより「牛遊び」ないしは「牛いじめ」か。酔った青年や足元のふらつく五十代の男が、牛に近づいて逃げたり、少し触れて逃げたりを繰り返す。「男」を見せる場として意識されているが、全体にユーモラスである。スペイン闘牛を少し囓ったらしいひとりの青年がカポの技を見せる。しかし、人気を集めたのは角に引っかけられてズボンが破れ、お尻を半出しにして逃げた少年であった。頭から逃げ込んだ男たちの足が十数本、バルのカウンターに突き出すという光景では爆笑が起きた。牛も雌が多い。十分程度で疲れて、出口の前で鳴き出す。いい加減に疲れた牛に、同好会員ら十人ほどで飛びかかり、地面に引き倒すという場面はそれなりの迫力があったが、何回も繰り返すと見る方も飽きてくる。ポルトガルの闘牛は牛を殺さないといわれていたこともあって、こちらものんびりした気分を味わっていた。




しかし、フィナーレは衝撃的であった。最後まで闘争心を捨てない公称六百キロの雄牛の角にロープが引っかけられ、それまで逃げまどっていた数十人の男がそれに取り付く。綱引きでもやるのかと見ていたら、男たちは慎重に牛の周囲を回り続け、牛の体にロープが巻き付いていった。やがて動けなくなった牛は柵に縛り付けられた。闘牛場を飾っていたペナント(費用を提供した地元商店のもの)が外され、牛の体は覆い隠される。観客は一斉に立ち上がって手を叩いた。その歓声の中、ペナントの陰で、何らかの方法で牛の命は奪われた。共同で絞め殺したようにも見えた。
この闘牛は中世以来のものだという。日ごろは馬上試合が行われるような騎士の広場で、おそらくは領主の目前で、年一回、モンサラースの民衆は共同の牛殺しを続けてきた。闘牛用の雄牛は一般に男性性・権力・肉体的な力を表象する。



角館の山車祭を思い出した。各集落から引き出される山車は、他の地区に入る都度、挨拶に出向き、通過の許可を得ていく。やがて山車は武家屋敷の空間に入り、領主の謁見をうけた後、城下町を巡る。狭い都市域だから、山車はあちこちで別の山車と出会うことになり、道を争って山車をぶつけ合う。この山車の運行方法や集団の組織、地区間の儀礼は一揆の構造に酷似する。領主の目前で、年に一回、一揆に結集する民衆の力量が可視化されてきたのである。




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