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仙台幻夢譚

  • 執筆者の写真: 千葉正樹
    千葉正樹
  • 7月27日
  • 読了時間: 1分
ケヤキ並木もひょろひょろしていた。
ケヤキ並木もひょろひょろしていた。

40年という時間は短くはない。モノクロームの仙台をしばらく追いかけてみたい。

アイドルのポスターを剥がそうとして失敗した跡。
アイドルのポスターを剥がそうとして失敗した跡。
一番町にあった水時計。「時計前」が待ち合わせのポイントだった。
一番町にあった水時計。「時計前」が待ち合わせのポイントだった。
高層ビルといえるのは県庁くらいだった。
高層ビルといえるのは県庁くらいだった。

喪失したものは、失ったという事実さえ、記憶から薄れていく。今回の作業は自らの記憶をたどる旅となった。写真に写っていてさえ、思い出せないモノ・ヒトが少なくない。

ひとつ確実なのは、私のモノクロ写真は、大きく変貌する日本の直前を切り取っていたことである。この4年後に始まるバブル経済の中、高層ビルが次々に建つ。男女雇用機会均等法は女性の足取りを変えた。

今でも仙台は横丁の街だが、ここはビルに建て替えられた。
今でも仙台は横丁の街だが、ここはビルに建て替えられた。
郊外には、まだ原っぱがあった。
郊外には、まだ原っぱがあった。

都市は非都市=農山漁村に寄生して生きる。だからその対価としての文化を生産し続けなくてはならない。都市が変貌し続けるのは、必然のメカニズムに組み込まれている。

だが、そこに生きる人間は思うのだ。変わらない街があってもいいではないか、と。

1938(昭和13)年に架けられたコンクリート製の大橋は、今も変わらず、広瀬川を見下ろしている。
1938(昭和13)年に架けられたコンクリート製の大橋は、今も変わらず、広瀬川を見下ろしている。

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