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遠野の「ふつう」に惹かれて

  • 執筆者の写真: 千葉正樹
    千葉正樹
  • 7月20日
  • 読了時間: 3分
遠野のふつうの市民だけで、素敵な舞台を創り上げる。「遠野物語ファンタジー」。
遠野のふつうの市民だけで、素敵な舞台を創り上げる。「遠野物語ファンタジー」。

 柳田国男という巨人に出会わない、日本の人文学研究者は少ないだろう。その『遠野物語』に魅惑されて、遠野の町を訪ねると、そこにはふつうの田舎町が待っている。

 だがそこでは、ふつうの市民達が脚本を書き、演出し、舞台道具から音楽まで自前、もちろん出演者も市民たちという、1986年当時では考えられないレベルの舞台、「遠野物語ファンタジー」が行われていた。2025年で50回を迎えるこの舞台には、全国からその「ふつう」みたさに観客が訪れる。

舞台の最後に観客も参加して歌い上げられる「遠野物語ファンタジーのうた」。
舞台の最後に観客も参加して歌い上げられる「遠野物語ファンタジーのうた」。

 雑草、さりげなく生きる、きざまれた歴史、春の雪解け、ぬくもり、変わることもなしに、小さな光。「遠野物語ファンタジーのうた」には、積み重ねられてきた「ふつう」の時空間を生きる人びとの誇りと強いまなざしが籠められている。観客席で声を合わせながら、涙を抑えきれなかった。

かつてこの河でカッパに出会ったという言い伝えがある
かつてこの河でカッパに出会ったという言い伝えがある
妖しさがないわけではない
妖しさがないわけではない

 いま遠野は、岩手県の期待するインバウンドの観光地である。曲り家を移築してつくられた、広大な遠野ふるさと村では映画やテレビのロケが繰り返される。ハイテクを駆使するとおの物語の館、リニューアルされた日本民俗学の拠点、遠野市立博物館。かっぱ淵では多くの人たちが「カッパ釣り」を体験する。一日では回りきれない。

 だが、私が最初に遠野に行った1985年夏、改装前の市立博物館はあったものの、ほかは何でも無い顔をした、日本のあちこちにあるような小さな城下町であった。ただ、『遠野物語』を手にした私は、ふつうではないことに出会いたくて、必死に町を歩いた。バスからバスを乗り継いで、誰も行かないような奥にも入った。その時の写真はまだ出てきていないが、「ふつう」なる被写体に、いかに「非日常」を語らせるかという作為に満ちているに違いない。

 同じような努力をする、民俗学をかじった仲間たちもいて、遠野はたしかに「ふつうではない訪問者」だけが行く、「ふつうのまち」というポジションであった。だんだんと時が移ろうにつれて、遠野市は『遠野物語』を核とする、まちの活性化に取り組むようになる。「ふつうではない訪問者」はいささか寂しい思いもしたが、市の一本筋の通った努力は実を結びつつあるといえよう。

雪の中を突き進む、民俗学ファン
雪の中を突き進む、民俗学ファン
86年の来内川。今は水辺を楽しむ散策路が整備された。
86年の来内川。今は水辺を楽しむ散策路が整備された。

 「ふつう」のところにふかい民俗的精神性を探る旅はもうしづらくなったが、「ふつうの人たち」がふつうに怪異にであえるところとして、裾野は広がった。

 引っ越しを機にフィルムスキャンを始めて、モノクロームの世界の中に過去と現在とを見つめ直している。遠野のたどった旅路は、日本の今後をたしかに示唆している。

 作業と私の写真歴の都合上、しばらくはモノクロームの80年代におつきあいいただこう。

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